--- Ankoku nyan nyan ---



◇◆ 第 5 話  秘密の大部屋 後編 ◆◇


 くるぶしまで沈み込みそうなフカフカの緋色の絨毯に、宝石をちりばめたような眩い輝きが降りそそいでいる。
 それ一つでマンションがまるごと買えるに違いない軽自動車よりデカいシャンデリアには、冗談抜きで、幾多の宝石がちりばめられていた。
 豪華絢爛な調度品、言ってみれば別世界の品々に囲まれて、三波が夢みがちに笑っている。
「有栖〜」
「何だ?」
「俺、これ知ってるぅ〜」
「そうか‥」
「ポルターガイストってゆーんだよな〜〜‥?」
「‥‥‥‥」
「って、黙るなーー! 頼む〜〜!! ハッ‥ お前また、その冷静な顔‥。この場合、ちょっとは驚くってのがぁああ‥」
「驚いているが‥」
「もぉおおお、いやぁああああ! 俺、日本、帰るぅうううう‥‥!!」
 夫婦ゲンカの真っ最中のように、手当たり次第に、モノが飛び交う一室‥。
 錯乱気味に立ち上がった三波の後頭部を、クジャクの剥製が直撃した。
 駆け出そうとした体勢のまま、綺麗に倒れ込む三波。
 頭上を掠めゆくアンティークや電化製品から身を守るべく、ソファの後ろに身を隠した有栖が、足元でヒクついている三波をソファの陰へ引きずり戻す。
「良かったな‥。そっちじゃなくて‥」
 有栖の視線の先には、クジャクと一緒に飛んできた巨大な小便小僧の置物が大破している。
「いやーー!! 死んでも死にきれない〜〜‥‥」
 三波がわめきながら、首の取れかけたクジャクを宙に投げ返すと、狙い澄ましたように、青銅製の大皿がクジャクの胴を真っ二つに引き裂いた。
「逃がしてはくれないようだな‥」
 有栖は、わずかにこわばった眼差しを、部屋の最奥部に掛けられた巨大な肖像画に向けた‥。


      *


 静寂に守られていたこの一室が、こうまで賑やかにひっくり返ってしまったのは、かなりの確率で、三波が原因であった‥。
 自分達の仕事場たるに相応しいスペースを求め、珍品奇品に埋め尽くされた幾多の部屋を通り過ぎ、辿り着いたこの部屋。
 広々とした部屋の中央には大理石の応接セット、その向こうには、寝台ほどもある巨大な執務机がデーンと幅を利かせている。
 調度品の常識はずれのゴージャスさはさておき、辛うじて仕事が出来そうな環境ではある。金色に輝く布袋像を筆頭に、何だかよく解らない品々を棚から撤去すれば書類置き場に困ることはないであろう‥。
 有栖がパソコン等の配置を思い描きながら、コンセントや電話回線の有無をチェックしている最中、その不幸は起きたのだった‥。

「なぁなぁ‥。すごいな、これって俺のイメージ通りや! ナニワのあきんど、成金社長室〜! で、なんでかテーブルの上にはバニーガールが寝てたりすんねんなー!‥って、そらないわー!」
 部屋へ足を踏み入れるなり、ひとりボケ・ツッコミをしながら、子供のように部屋の奥部にある執務机に駆け寄った三波。
 彼が真っ先に目を付けたのは、机の背後の壁に掛けられた巨大な額縁であった‥。
「へぇ〜。これが望片代? 結構、イケてるオッサンやん? でも、やっぱこの部屋には、つるっパゲで油ギッシュな小太りジジイが合うよなぁ‥?」
 額縁の中でニヒルに佇む、ちょっと東洋人離れしたダンディな壮年の男。
 三波はその望片代らしき男の肖像画を指して、弾むように有栖を呼ぶ。
「なーなー! 大抵、スパイ映画って、こんなとこに秘密の通路があったりすんねんなー? んで、隠し扉のボタンがこんなとこにあったりして‥」
 しっしっし‥と、悪戯な笑みを浮かべて、三波が額縁の下部に手を差し込んだ、次の瞬間‥。
「ふげっ!?」
 と、間抜けな叫びが上がった。
「道頓!?‥堀‥‥」
 とっさに身構えた有栖の声が、途中から溜息に変わる。
 へっぴり腰のまま硬直している三波の前‥ 巨大な肖像画が90度左に回転するように傾き、その背後から、階下へ続く隠し通路が出現したのである‥。
 そして‥
「見ぃいい‥たぁあああ‥なぁあああああ‥‥」
 これ以上ないほどお決まりのセリフが、地獄から沸き上がるように、部屋中に響いたのであった‥。

「あーーーー‥。見てへん‥」
 だが、弁解は遅すぎた。
 

      *


 ぎゃーーーーー!!
 ひーーーーーーーぃいいいい!!
 いやぁああああーーーーーーーーーー!!!!

「生きては返さぬぞ‥」
 そう肖像画の中の男が喋ると同時に、シャンデリアが点滅しはじめ、そこら中の品々が浮遊し始めた。

「あら、今、東君って聞こえなかった?」
「気のせいじゃない?」
「そうね‥」
 その頃、課長と沙弥は優雅にお茶タイムである。

 隠れ家は防音処理も完璧らしく、泣いても叫んでも救援は現れない。その上、こういう時に限って、さっきまでうろちょろしていた小坊主が一人も通りがからない。
 有栖と三波は、応接セットの3人掛けソファを引きずってくると、出入り口に近い壁を背にして、防御体勢を整えたのであった。
「出口は開いてるで‥」
 三波が、開け放たれたままの扉をちらりと見やる。
 ソファからは、5メートルほどしか離れていない。
 しかし、目に見えない相手は、有栖と三波がしびれを切らし、物陰から飛び出すのを待っている。じわじわとなぶり殺すのを楽しむかのように‥。
 飛び出した瞬間、先のクジャクの剥製のように、切り裂かれるか、押し潰されるか‥。
 それが分かるだけに、下手な動きも取れない。
 ならば‥ 
 有栖と三波は見交わし合うと、ソファを盾代わりに持ち上げ、扉に向かって突進した。
 が‥
「なんや‥ タチ悪いなぁ‥。わざと手ぇ抜いとったんか‥」
 今まで、有栖と三波を守っていたソファが凶器へと変じ、凄まじい力で二人を壁に押しつけていた。
 昆虫標本のように身動きできない有栖と三波。その二人の目の前に、ゆらりと半透明の影がよぎる‥。
 三波が目を見開いた‥
「へ‥ 変態ぃいいーーーーーっっ!!?」
 緊迫した場面に関わらず、三波が素っ頓狂な声を上げた。と、同時に、
 ドッコォオオーーーン!!
 と、有栖らのすぐ横の壁が豪快に吹っ飛んだ。
「誰が変態よ!」
 壁を蹴破って現れるなり、三波に一発ゲンコツをかましたのは、麗しの課長様であった‥。

「自覚してるのね‥」
 ちゃんと扉から入ってきた沙弥が呟く。
「何か言ったかしら小娘‥」
「ううん。それより‥ かなりキテるわよ‥」
「キィィーー! キテるって何よ、小娘ーーーっっ!!」
 ヒステリックな声を上げる課長の首を、違うわよ‥とぐりんと回す沙弥。
「あれよ‥ あれ!」
 沙弥の示す先には、マリーアントワネット風の立て巻きカールのカツラを被った、60過ぎくらいのオヤジが立っていた。というより、半透明の体で宙に浮いていた。
「いやだわ、ほんと、変態よ‥」
 きゃあん!と可愛く悲鳴を上げて、課長はソファの陰に隠れると、目だけを覗かせた。
 しーーーん‥ と部屋の中が静まりかえる。
「おのれに、言われとうないわい‥」
 ぼそっ‥ と呟くオヤジに、ついつい肯いてしまう沙弥・有栖・三波。
「この美しい私のどーこが、変だってのよ‥」
 ふつふつとオーラをみなぎらせる課長に、オヤジはさり気なく助言する。
「カツラずれとるぞ‥」
 壁に刺さった金の裸婦像に、課長のボリューム満点の髪が絡まっている。
「いやーーん。セットに40分もかかったのにぃー!」
「それ、カツラだったの‥。もしや、課長さんて‥ ハゲ‥?」
 ごくり‥と、沙弥が唾を飲む。
「誰が若ハゲよっ!!」
「”若”は付けてない‥」
「ったく、ものを知らない子ねえ‥。ウィッグと言ってくれる? 大体、私ってばプラチナブロンドですもの。東洋人風に染めたりなんかしたら髪の毛傷むでしょぉ‥!」
「暑くないの‥?」
 うえ〜‥と顔をしかめる沙弥に、課長が真剣に肯く。
「そーなのよー、夏場は蒸れちゃって大変‥」
「ハゲるわよ」
「きーーー! なんてこと言うのよこの小娘ーー!」
「そんなもんじゃ、その肩幅は隠しきれんゾ‥」
 横合いから、切り込むようなオヤジの一言に、課長が愕然と振り返った。
「すごいわ。ハゲも肩幅も隠せるのね‥カツラって」
「だから、ハゲじゃない!!」
 課長の秘密が次々と明かされていくことに目を輝かせる沙弥。有栖と三波は、壁に張り付けられたまま沈黙を守り続けている。
 課長は、ふるふる握りしめていた拳を下ろすと、ふいに、フッと口の端を引いた。
「霊体の分際で私に意見するとは上等ね‥、望片代!」
 宙に浮かぶ腹の出た小男を、ずーんと仁王立ちで、課長が見すえる。
 有栖と三波が驚いたように見交わし合った。
「話、ちゃうやん‥」
 スマートでダンディな肖像画にはプレートが付いていて、望片代大先生と大書されている。
「階段一億段転がり落ちても、ああはならないと思うわ‥」
「確かに‥」
 沙弥の冷静な分析に、珍しく有栖が賛意を表し、三波はつまらなそうに口をとがらせた。
「なんや、あまりにイメージぴったりってのも、オモロない〜。もっと、こう危険な香りってのが‥!」
「十分危険よねぇ‥?」
 ある意味ね‥。沙弥の呟きに、思わず納得の有栖と三波‥。
「馬鹿者! これは飛んできたものが、偶然、頭にのっただけじゃわい!」
 金髪立て巻きカールを、地面に叩き付ける望片代。予想通り、頭は薄かったが、誰もツッコマない。
「そうよね、こんな人、そうそういないわよねぇ‥」
 沙弥に指差され、課長が吼える。
「あんたどっちの味方なのよ、小娘ー!!」
 が、沙弥は聞いちゃいない。
「あら、ねーねー私、中国語わかんないはずなのに、あの人の言葉解るわよ‥!?」
「きーー! 人の話聞きなさいよ、小娘!」
 課長は不機嫌そうに、髪を肩に散らした。
「ったく、あれは人じゃなくて、霊なの! 解る? 霊の言葉は耳で聞くんじゃなくて、心で感じ取るものなのよ。アンタとあいつ、化け物同志で心が通じ合うんじゃなくって?  ほーっほっほ!」
「ひっどーーーい! 自分なんて厚塗り妖怪のくせにーー!」
「きーー! 誰が厚塗りですってぇ!」
「あんたよあんた!」
「あーーー。その辺の物は全部くれてやる。わしの眠りを妨げるな‥」
 唐突に、宙に浮かんでいた全てのものが、地に落ちた。
 戒めを解かれた有栖と三波が、足の上に落ちてきたソファを間一髪で避ける。
 あーやれやれ‥ と、望片代が額縁の向こうの通路に消えて行こうとした‥その時、
「お待ちなさい‥」
 課長がにやりと笑った。両腕を組み、かなり偉そうなポーズである。
「な‥ なんじゃ‥。早々に手を引いた方が身のためじゃぞ!」
「流石は、望片代‥といったところかしら? 大したハッタリだわ‥。勝ち目のないのが解ったんでしょう? 大人しく成仏してもらおうかしら‥。うちの可愛い部下をいたぶってくれた落とし前はつけてもらわなきゃ‥」
 カワイイ‥??
 うふふと笑う課長を、三波が信じられぬものを見る目で見守る。そして、有栖までが驚きで止まっていることに気付くと、嬉しそうにしきりに肯く。
 ぬうううううう‥‥。
 望片代が唸りを発した。そして恨みに満ちた目で、有栖と三波を睨め付ける。
「こ奴らは見てはならぬものを‥ 見て‥」
「ねーねー、この部屋なに?」
 ちょろちょろと額縁にまで達した沙弥が、通路の階段を降りようとしていた。
「ぎゃああああああ! 何さらしとんのや、われ、ダボ、去らんかーーい!」
「気のせいかしら、何だかとっても、ヤクザっぽいセリフが聞こえたわ‥」
「気のせいでしょ‥」
「だぁほぉーー!! 近づくなゆーとるのが、わからんのくあぁああーーー!!」
「ああ‥ うっさい」
 パコ‥。
 課長が指先を軽く弾いた。
「ぎゃああああああ‥‥‥ 」
(むごぃ‥)
 課長の指一本でかーるく吹っ飛ばされていく望片代を、有栖と三波はソファの影から見守った。


      *


「まい るぅむ?」
 階段を降りきった突き当たり。
 白地にピンクの縁取りが施されたドアには、愛らしいカントリードールがぶら下げられ、丸文字調のアルファベットで書かれたプレートを胸に抱いていた。
 忽然と、唐突に、ラブリーな雰囲気。
 ICPO一行は、多少血の気の引いた面持ちで、そのドアを開けた。
「何よ、これ、全部女物‥?」
 どーーんと、見渡す限りの衣装部屋である‥。
 ベルサイユ宮殿の鏡の間を彷彿とさせる四方の壁。その鏡張りの壁の前面には、リボンふりふり、レースびらびら、お嬢様ちっくな衣装がどっさりぶら下がった洋服掛けが所狭しと並べられている。
「クマが服着てるで‥」
 フロアのあちこちには、妖精のような少女のビスクドールが、舞踏会のように着飾って立ち並び、大小様々なテディベアが彼女達をエスコートするように顔を覗かせていた‥。

「ぜーぜー、貴〜様〜ら〜」
 突風が部屋に吹き込んだと思うと、血相を変えた望片代が再び姿を現した。
 どこまで吹っ飛ばされたのか、既に死んでいるくせに息づかいも荒く、肩を上下させている。
 課長が怪訝な顔で、フリフリの一着を手に取った。
「もしかして‥」
「わっわわわわ、わしのじゃないーーっっ!!」
「高いのか‥って聞こうとしただけよ‥」
 望片代の顎が、カクーンと落ちた。
「‥‥‥あんたのなの‥‥‥」
 これ以上はないくらい、その場が冷たく静まりかえる‥。
「黙ってれば、バレなかったのにね‥」
 小さく沙弥が呟いた。
 がちょーん‥と、ショックを受け、へろへろへろ‥ と薄くなっていく望片代。
 ーー 成仏??
 目で語り合う有栖と三波。 
 課長は、カツラ、靴、アクセサリー等のスペースに素早くチェックを入れると、早くも高く笑っている。
「さすがは大富豪。良いもの揃えてるわ! 小物は、ばっちり使ってやるわよー! ほーっほっほ!」
「それって泥棒です‥」
 部下の言には耳も貸さず、課長は早速、試着に入ろうとした。
「あら、何、この扉‥」
「さ〜わ〜る〜なぁああああ〜〜〜‥!!」
 部屋の最奥部、鏡張りの壁の一部がスライドすることに気付く課長。
 と、同時に、消えかけていたはずの望片代の霊体が、怒りに染まるように赤味を増し、みるみる膨張すると、恐ろしげな唸りを上げて復活した。
 そして、一秒も待たずに、再び課長にふっ飛ばされ、お空の星になる。
「しつこいジジイは嫌われるのよ。けど、その執念だけは褒めてあげるわ。さすがマフィアのボスの座に長年君臨してただけあるわね‥」
 課長は天井を遙かに見透かしながら、高飛車に見得を切ると、くるりと方向転換し、ふふんふーん♪と鏡張りの扉を一気に開いた。
「いやぁん! ウエディングドレスよぉ♪」
 うっとりした課長の溜め息と同時に、周囲の照明が落ち、滑らかな光沢を放つ純白のドレスが柔らかなスポットライトに照らし出された。さりげなーく、愛らしいオルゴールの音がBGMに流れ始める。
(なんだかなぁ‥)
 有栖と三波の眼差しが寂しく宙を泳いでいる。
 一方の課長は、国宝級の巨大ダイヤモンドが胸元で輝くそのドレスを、頬を染めて抱き締めると、
「これを着て、私は東くんと‥」
 寝言を言いながら、試着室に消えていった。


「入らないわぁあああ!!」
 課長の悲鳴が部屋中に響いたのは、その数十秒後。
 「まいるぅむ」のプレートの掛かったドアが、爆音と共に外側から破られるのと、ほとんど同時だった。
「そーーーれーーをーーかーーーえーーせーぇええ」
 ハウリングするマイクのような音と、絞り出すような男の声が重なる。
 耐え難い響きに耳を押さえる沙弥・有栖・三波。
「ちょお待ってや! パワーアップしてるで〜!!」
 凶悪な妖気を撒き散らし現れたのは、またしても望片代。どういうわけか、半透明だった体がすっかり人間だった頃のように戻り、二本の足を地に着け立っている。大急ぎで駆けてきたのか、体中、泥まみれである。
「すっかり、悪霊と化したわねぇ‥」
 やれやれ‥。ウエディングドレスを片手に、肩をすくめてみせる課長。
「ぅおおおおおおああ!!」
 その純白のドレスを目にしたとたん、望片代が逆上したように雄叫びを上げた。
「うるさいわね!! 要らないわよこんなの! あんた、スタイルわるすぎっ」

 ガーーーン!!!!

「あ‥ ヘコんでる‥」
 ガックリと肩を落とす望片代に、ちょっぴり同情の沙弥。
 課長の八つ当たり的発言は望片代にスマッシュヒットしたらしい。望片代が発していた煙状の妖気が、急速に、シュルシュルと消えていく。
(あんたがデカすぎるんです)
 心の中で突っ込みながら、有栖と三波が、ぽつねんと座り込む望片代を見守っていると、
「はっ! ここはどこだ!?」
 ふいに顔を上げた望片代が、跳ね上がるような声を上げた。驚いた事に、その顔は先刻とは別のものである。
「いい歳して、乗っ取られてんじゃないわよ‥」
 面倒臭そ〜に、目の前の小柄な中年男を見下ろす課長。
「乗っ取る‥?」
「そ‥ 憑依。恐山のイタコとかあるでしょう? ヤケになって、他人の体を奪ったってわけ。どう転んだって、この美しい私にかなうわけないのに。哀れね望片代‥」
 目を丸くする沙弥に、課長がしんみりと語る。
 訳が分かっていないのであろうか、引きつった表情で周囲を見回していた男は、沙弥達に気付くと、いきなり睨みを利かせて、怒声を放った。
「俺を誰だか知っての‥!」
「こいつの息子でしょう?」
 課長がこともなげに、指差す。その先には、部屋の端で背を丸め、ブツブツ呟いている望片代の霊‥。
「お! 親父ぃい!?」
 男の声が裏返った。
「どーーせ、チビだし、腹出てるし‥ ぶつぶつぶつぶつ‥」
 うつろーーに宙に浮かんでいる望片代と、憑依されていた男。言われてみれば、声も背格好もよく似ている。
「て‥ことは、現・陽麟グループ総裁、望 辺羊!?」
 三波と有栖は驚きが隠せないようであった。
 事件の裏に陽麟あり‥と言われる、香港マフィア。その巨大な組織を牛耳る男が目の前にいるのである。この男の築く牙城を突き崩す為に、幾人の警官が命を落としたことか‥。
 急に、眼光の鋭くなった有栖と三波を、沙弥が不思議そうに見上げた。
 一方、陽麟総裁、望辺羊は、しばらく呆けたように、霊体の顔を見つめていたが‥
「親父‥ は、確か死んでたハズ。うん、そう。それじゃあな!」
 急に、空々しく微笑むと、そそくさとその場を後にしようとした。
「あんたも、薄情な息子もったわね〜!」
「うるせえ、楽しみにしてたんだよ、俺ぁああ、それが袖も通せねえなんてよ‥ぶつぶつぶつぶつ‥」
「霊体じゃあ、しようがないわねぇ‥。器になる肉体でもあれば別だけど‥」
 課長がにっこりと微笑む。
 望片代は怪訝そうにそれを見つめていたが、数瞬後、ふいにうつむき、嬉しそうに喉を鳴らした。
「ある‥ あるじゃねぇかよう‥。俺にぴったりの器がよぉう‥」
 歓喜に震えるように、望片代の妖気が甦っていく。
「おう! 辺羊! おめえ、俺と体型は一緒だったな‥」
「お‥ 親父? 何言ってんだ? こ、こっちくんなよ!! おやじぃいいい!?」
「よし、体貸せっ! ドレスの後は、今年の新作水着、見に行くぞぉおおお!」
「ビキニはやめなさいよ」
「うるせぇえええ、いくぞ、辺羊!!」
「おーーやーーじぃいいいいいーーー!!?」
 ピンクを基調とした部屋の中、着飾った人形やテディベアの合間を追いかけっこする父と息子。
 両者そろって運動不足が如実に分かる肥えっぷりであるが、霊体である父親と違い、息子の方はすでに息が上がっている。
「地獄絵図やなぁ‥」
 遠い目の三波。
 課長はというと、我関せずで、香水の物色を始めている。
「助けて! 助けてくれ! そこの人!! 礼はする! 必ず! なんでもするからぁあああ!!」
 青ざめたまま立ちつくす有栖・三波・沙弥に向かって、息子の辺羊が突進してくる。
 しかし、3人の元に辿り着く前に、辺羊の体は、背後に引き戻されていった。
 霊体親父が息子の襟首をつまんでいる。
「おら辺羊‥ もたもたすんな‥ とっとと来んだよぉおおおおおお!! なんじゃ、こりゃぁあああああ‥!!」
 間の抜けた叫びを上げて、霊体親父・望片代が、唐突に息子から引き剥がされていく。
 まさに、一瞬の出来事。もの悲しい悲鳴だけを残し、片代は掃除機に吸い込まれるかのように‥ 課長の手の中へ‥。

 シュルルルル‥ スポン。

 愛らしい音が聞こえると、課長は手に持った香水の小瓶のフタを閉めた。
「物に触れる根性あったら、服くらい着られたのにねぇ‥ お・ば・か・さ・ん。 うふ」
 服を着るには器となる肉体が必要‥。これが、そう言った張本人のセリフである。
(お‥鬼?)
 寒気すら覚える有栖と三波。
 課長は、放心状態の辺羊に歩み寄ると、
「御礼は何でも‥って、ほ・ん・と・う?」
 可愛く乙女ちっくに囁くや、辺羊の眼前に小瓶をちらつかせ‥
「仲良くしましょうねぇ? じゃないと、このフタ、開いちゃうかも‥?」
 と、にっこり‥ 極上の笑みを浮かべた。


     *


 こうして‥

 始動したばかりのICPO特殊災害対策課・娘々神保護対策本部は、課長のお手柄により(?)、香港マフィア兼 政財界のトップの協力・援助をとりつけることに成功したのであった‥!!




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