--- Ankoku nyan nyan ---


◇◆ 第 1 話  娘々の巫女 ◆◇

「来たわ!! ついに来たわっ!!」
 朱塗りの柱に絡み付く龍のレリーフ。極彩色の巨大な門の前で、一人の少女が歓声を上げた。
 ここは上海に程近い中国のとある港町。
 さして大きくもない繁華街の入り口で、うっとりと門を見上げる少女の名は、沙弥(さや)。この憧れの”飛龍門”に会う為だけに、はるばる日本からやって来たのだった。
 何故、観光地でもないこの街にこれほど惹かれるのか‥ 実は、沙弥自身にも解ってはいない。だが、偶然TVに映ったこの門を見て以来、必ず来ると心に決めていた。
 沙弥は通行人のうさんくさげな視線を気にも留めず、ふらふらと惹き寄せられるように龍のレリーフへと手を延ばす。
「本当に来たのね‥。バイト、バイトのこの一年‥ 報われたわッ!! 何て素敵な鱗‥! この適度な色のハゲ具合といい‥ 完璧よっ!!」
 ついには、巨大な柱を抱きかかえ、すりすりと頬ずりを始める。
「ぅふふふ‥っ!」
 心底、無邪気に笑う沙弥。
 嬉しくてたまらぬというように、必要以上に門を撫で回す。
「うーーーふーーふーーふーーふふふふ‥」
 怪しい異邦人の動向をさり気なく観察していた街の人々だったが、その瞬間、波が退くように後ずさり、サッと青ざめつつ目をそらす。
 その時である、
 ーー キンコーーン!
柱の中で、かすかに何かが響く音がした。
「何‥ コレ?」
 龍の眼が出たり入ったりスイッチのよう動くことに気づき、思わず連打する沙弥。
 ーー キンコキンコキンコキンコーーン!
 「???????」
 もう一度、沙弥が押しまくろうとしたその瞬間、目の前にあったはずの柱の一部が、スライドするようにガコン!‥と地に沈んだ。
「ひ‥‥‥‥っ!」
 あらん限りの大音声をあげるべく、力いっぱい息を吸い込む沙弥。
その目が、見開かれたまま点になる。
 黒々と口を開けた柱の中から、ひょっこりと顔を出したのは、柔和な微笑みを湛えた青年‥。
『はい、どちら様でしょう?』
 青年は大きな黒い瞳で沙弥を覗き込むと、更に優しい微笑みを浮かべた‥。

      *

「なになにっ! どうなってるの!?」
 落ち着かなげに、ぺしぺし壁を叩きまくる沙弥。
 青年に誘(いざな)われるまま、柱の中に入ったはいいが、この階段は一体どこまで続くのか‥、降りても降りても先が見えない。
「あーーー、もう、なんで付いて来ちゃったんだろ! これが人さらいだったりしたら、どーーすんのよ!」
 日本語が通じない分、言いたい放題まくしたてる。青年は、電灯を片手に、何やら語りかけながら先導してくれるのだが、何を言っているのか見当すらつかない。
「誰よ、挨拶だけで足りるっつったのは!!」
 もう少し中国語の勉強をしてくるんだった‥。わずかに後悔したものの、すぐに開き直る。
「どーせ三日坊主なんだし、同じよね‥。ってゆーか、三日続いたことないのよね、私! ‥はぁ〜〜〜〜‥ 」
 自分で言って、力尽きると、こんどは青年の観察を始める。
 ゆったりした詰め襟の、裾が膝まである民族服に、背中で揺れる長い三つ編み。街中では一度も見かけなかったが、いかにも中国!という感じの時代がかった装束。
 辮髪(べんぱつ)だったら完璧なのに!‥などと思われているとは露知らず、青年は振り返ると、もたつく沙弥に手を差し伸べた。
「‥うん。こんな可愛い子が悪人の訳ないわね‥。それにしても美人よね、この子。上物よ、上物!‥って、オヤジか私は! でも、こう見えてきっと私より年下なのよ‥。 ね、そうでしょ? 16〜7ってとこ?」
 勝手にしゃべくりまくっていると、やっと底まで行き着いたのか、しだいに周囲が明るみを帯び始めた。
「そーーね、そんでもって、私のこと中学生くらいに思ってるんだわ! これでも大学生、一応ね! 解る?」
 小柄な上に童顔な為、沙弥は4〜5歳は若く見られる。大人っぽく見せようと髪を伸ばしてみたが効果はなく、どこへ行くにも中学生料金でこと足りてしまう。
 青年はにっこりと首をかしげると、かなりガタがきている木の扉を軽く押し開けた。
「うわ‥ 綺麗じゃない!?」
 ホテル‥とまではいかないが、目の前に続く廊下には絨毯が敷きつめられ、白い壁には、赤地に金の文字が書かれた、おめでたそうな飾り付けが施されている。
「ちょっと、あれ何!!」
 沙弥の指さす先には、がらん‥と広がる不思議な空間があった。
 掃き清められた床に、焚きしめられたお香の香り‥ 厳かな空気‥。
「神殿みたい‥」
 部屋の中をそっと覗いてみると、正面には壇が築かれており、その向こうの壁には、東洋的な美しい女神の姿が浮き彫りにされていた。
『闇黒娘々‥』
 青年はそうささやくと、沙弥を促し、また廊下を歩き始める。
「‥‥にゃんにゃん? ああ、あの女神様のことね? ‥ふっふっふ、それくらいは解るのよ! 何てったって私は美術史専攻の女! ちなみに学芸員資格も狙ってるわ!」
 ふんぞり返る沙弥を不思議そうに眺めていた青年が、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
 ーー キンコーン‥ キンコーン‥
 遠くから微かに聞こえるのは、龍の眼を押したときに鳴ったのと同じ音。
『お連れ様ですか?』
 青年は不思議そうに首を傾げると、廊下に置かれた長椅子に沙弥を掛けさせた。
『申し訳ありませんが、こちらでお待ちいただけますか?』
「???? ここにいればいいのね??」
 野生の勘で悟ったらしい沙弥を残し、青年は足早に廊下を進んでいった。

 周囲を見回す沙弥。物音一つしない。 
「‥‥‥‥‥‥どーしよ、このまま忘れられたりして‥。ってゆーか、今の内にもと来た道から脱出すべきよね。あの子には悪いけど‥。何てゆーか‥ ここ、とにかく怪しすぎ〜〜!!」
 ぶつぶつ呟きながら廊下を逆行する沙弥。‥と、先刻通り過ぎた、神殿のような広間が、再び目に入った。
「きれーな、女神様‥‥」
 気が付くと、女神のレリーフの前にいる。
「ダメ〜〜! 私ってば、欲望に素直っ!!」
 後ろ髪を引かれる思いで女神から目をそらすと、今度はレリーフの下に置かれた巨大な水晶玉が目に入る。
「うわ‥ バレーボールくらいあるわね‥」
  壊したら一大事‥
 ふと気付いて、沙弥は水晶に触れた手を離そうとした。とたん、
  ピキッ‥!
澄んだ音を響かせて、水晶に亀裂が走った。
 っーーーーーー!!
 声にならない悲鳴を上げる沙弥。
 その目の前で、水晶は今度は豪快に、パン‥!と二つに割れた。
 沙弥の頭の中が急激に、真ーーっ白ーー‥ になる。
と同時に、真っ二つになった水晶の中から‥
「 ピィ!! 」
 ーー ぴい‥???

      *

 キンコーーン‥と鳴り響く呼び鈴の音。急かされるように足を早める青年。
 頭を丸めた可愛らしい小坊主が、こっちだというように手を挙げる。
『済みません‥。お待たせしました。私、娘々神の”みこ”を務めております、東(とん)と申します‥』
 青年は一息にそう言うと、穏やかな目容を上げた。
『ご神体保護の要請を受けて参りました。国際警察機構(インターポール)の有栖(ありす)です』
『同じく、道頓堀 三波(どうとんぼり みなみ)でーす。三波と呼んでやって下さい!!』
 小坊主の後に立っていた二人の男が続けざまに会釈する。
 二人とも歳は20代半ばであろうか‥。共に、180pを超える長身だが、引き締まった体格のせいか、あまり大きいという印象は受けない。
 有栖と名乗った方は、少々陰のある落ち着いた雰囲気の持ち主で、品のいいスーツに身をつつみ、表情を見せない。
 もう一方の三波は、ジーンズに大きめのウインドブレーカー。栗色がかった髪の、人目を引く爽やかな顔立ちで、目元に屈託のない明るさを湛えている。

『へーーー! 結構広いんや、中!』
 見た目通りの朗らかさで、東に話しかける三波。
『はい、昔からあった地下壕に手を加えたものなんです。以前は海賊の隠れ家だったらしいんですけど‥』
『まさか普通の民家の下に、こんなもん あるなんてなぁ。市も近いし、便利やん!』
『ええ、ですがご神体を狙う輩が跋扈(ばっこ)しておりますので、身を隠す場所は幾つあっても十分ではないんです』
 世間話に突入するのを嫌うように、さりげなく有栖が言葉を挟む。
『早速ですが、ご神体を見せていただきたいのですが‥』
『はい、もちろん』
『ねね、そのご神体って大きい訳?』
『いいえ、片手で十分支えられます』
『ふーーん、じゃ 一人で運べるんや。俺、大仏様くらいあるんか思ってた‥』
 二人が応接室らしい所に通されると、すぐさま小坊主がお茶を運んでくる。
『では、先にお連れ様をお呼びいたしますね‥』
 そそくさと踵を返す東。
『連れ?』
『はい、若い女性の方です。飛龍門の方からおいでになりましたが‥』
 有栖と三波は怪訝そうに顔を見合わせた。
『いや‥ 今日は、我々2人だけ‥』
『トォォン道士ぃ〜〜!!』
 有栖の言葉を遮るように、泣き叫ばんばかりの声と地響きが突如、轟き渡った。どこから湧いたか、裾の長い道服を着た大勢の坊主達が、血相を変えて転がり込んでくる。
『どうしました?』
『御神体が‥!! 娘々(にゃんにゃん)が消えました!!』
 驚いたように息を呑む東。
 突如、天へ向かって片手を差し上げると、その手を上下左右に激しく振って空中で印を切る。そして、きっ‥と一方向を見つめると、ほっと息をつき、
『あちらの方角‥‥ 食堂は探しましたか?』
 あっ!‥と顔を見合わす坊主達。
『食堂だーーっ!!』
『ははーーーっ』
 坊主達がぞろぞろと波を打って飛び出していく。
 何事もなかったように見送る東に、有栖が怪訝そうに尋ねた。
『失礼。今、”御神体”と聞こえましたが‥、まさか御依頼の‥』
『はい、娘々神さまです』
 ぶ‥っと、お茶を吹く三波。
「俺ら、それ守りに来たんやん!」
 言うなり、インターポ−ルの2名は駆け出した。

      *

「とーえぷーーちーーぃ!!」
 中国語の「ごめんなさい」をデタラメな発音でわめき散らす沙弥。
 沙弥の足下には、キラキラ輝く坊主頭が、ずらずら〜っと跪(ひざまづ)いている。
「ごめんなさいいーーー!! 珠はほんとに、勝手に割れたの〜〜! それとこのお饅頭は、この子がくれたのよ〜〜!! 盗んだんじゃないのーー! あ〜〜〜ん! 何とか言ってよ、チビッコ〜〜!!」
通じるわけのない日本語で必死で言い訳する沙弥。その腕には、無心に饅頭にかぶりつく小さな女の子が抱かれている。
 割れた水晶の前で石になりかかっていた沙弥のもとへ、突如、降って湧いたように現れたのがこの”チビッコ”であった。髪の毛を真ん中で二つに分けて、左右に可愛らしくおだんごを結い上げ、綺麗な刺繍の施された桃色のチャイナ服を着ている。見た目は2歳くらいなのだが、それにしては小柄すぎる気もする。
 それを怪しむ間もなく、胸に飛び込んできたその子の指差す方へ、急かされるように進んだ沙弥。その行き着いた先は、なんと‥ 幸せそうに並んだ饅頭の山!
 あとはもう、何も言うまい‥であった。
「お願いよ、チビッコ! 無実だって言って〜〜!!」
 勢い余りまくって、”チビッコ”を人形の如くぶんぶん振り回す沙弥。
 そのとたん、びくう!!と跳ね上がる坊主達。一斉に真っ青な顔を上げ、沙弥へ向かって、あわあわ言って手を伸ばす。
「きゃああああああーーーー!!」
『大丈夫ですか! お嬢さん!!』
 悲鳴と同時に急加速したのは、三波。
 颯爽と登場すると、坊主の波に呑まれる女の子‥という異常な光景を気にする様子もなく、
「惜しい!! 俺の守備範囲は、24〜28までなんよな‥」
 と、有栖にタッチする。
 心なしか、無表情な有栖の目に怒気が浮かぶ。
「日本人?? よかった! 助けて!!」
 日本語で漏らした無礼千万な三波の軽口は、沙弥に届いたらしい。
「あれ? 嬢ちゃんも日本人? こーーんなトコで何してんのよ?」
「知らないわよーーーっ!!」
 その時、沙弥と三波達の間を阻んでいた坊主の波が、さーっと左右に分かれた。
『遊んで頂いていたのですね。娘々‥』
 そこには、優しく手を差し伸べる東がいる。
「ぴぃ?」
 ”娘々”と呼ばれた”チビッコ”は、饅頭を持ったまま、ひょろろーーっと宙を飛び、東の腕の中に収まった。
「飛んだーーーっ!?」
 素っ頓狂な声を上げる三波。
『まさかまさかまさか‥御神体って‥』
 動揺しまくりで東を見る。
『はい、こちらが我らが主神”掃夷闇黒流形元君(そういあんこくりゅうけいげんくん)‥闇黒娘々”様です』
 にっこりと微笑む東。
 ふーーー‥っ、と音もなく三波が倒れた。

      *

「生き神様なんて、聞いてへーーーーんっっ‥」
 思い出したくないとでもいうようにテーブルに突っ伏し、か細ーい声を上げる三波。
 隣で きちんと姿勢を正したまま静かに茶をすすっている有栖に、はたと気付く。
「ちょぉ待てーーー!! あのな、飛んだんやで? 飛んだの!! 見たやろ? 何落ち着いてんねんな、お前は〜〜〜〜!!」
「私も驚いている」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 三波は、静かーに有栖に背を向けた‥。
 ーー もーーいやや〜〜〜〜! 
  こいつってば、何考えてんだか解らへん!! 考えてるように見えて、実は、ぼーーっとしてるだけなんや、きっと! だいたい、こいつとは出会いからして悪いんや! ”有栖 真弓(ありす まゆみ)”なんてゆーから、絶対、美女やと思ったのに!! 信じてたのに〜〜!!
 理由はともかく、コンビ結成2日目にして早くも限界を感じる三波。悲劇の主人公よろしく天を仰ぐ。‥‥と、隣に座っている沙弥と目が合う。
「な? 嬢ちゃんも見たやんな? 飛んだん‥」
 やっぱり、それが気になるらしい。
「あー、あれ。さすが雑伎団の国よね!」
 予想外の沙弥の言葉に、一瞬、きょとん‥とする三波。その顔に、ぱあああっ‥と陽が射す。
「雑伎?‥そう、雑伎か! ありがとう嬢ちゃん! そうよな、きっとそうよな! そんで、あの子も実は良く出来た人形で‥」
 と、復活しかけた三波の鼻先に、ふわふわ浮かぶ娘々。
 ふうううう‥。涙にくれる三波。
 娘々を連れて隣室から戻ってきた東は、沙弥の横に立つと、急に深々と頭を下げた。
 明らかに先刻と顔色が違う。
『本当に、ご迷惑を! 私が勘違いしたばかりに‥!』
 何が何だか解らないが取りあえず笑ってみる沙弥。
 すぐに東は隣室に呼ばれ、再び娘々を抱いて出ていった。
「うんうん、ほんと‥、嬢ちゃんも災難よなぁ」
 同志を得たように肯(うなず)く三波。
 沙弥もやっと人心地ついたのか、三波に尋ねる。
「あのー、私まだ、よく解ってないんだけど‥。ここの人達って、一体何なの?」
「んーー。『闇黒娘々』っていう神様を祀る一族なんやって。んで、俺達は その神様守るために派遣されたんやけど‥」
「道頓堀‥」
 有栖が低い声で釘を刺す。
「ええやん別にー。被害者やで、この子も。あ、そうそう、俺、道頓堀 三波ってーの。三波って呼んで。 インターポールって知ってる? 国境関係ナシの警察って思ってくれたらええわ。で、そこの捜査官やってるってわけ」
「あ、私は、支柄 沙弥(しづか さや)。今、観光で来てて、今日は上にある飛龍門を見に来ただけなの。そしたら、柱からさっきの子が出てきて‥」
「うん。今日は俺達が訪ねることになっとったから‥ 間違えられたみたいやなぁ。君と俺達と‥」
 吹っ切ったように、今度は妙に明るい口調の三波。半ばヤケになっているらしい。
「支柄さん‥。失礼。有栖といいます。一応伺っておきたいのですが、何故こんな田舎町に?」
 有栖が するりと会話に割り込んだ。
「決まってるじゃない? 飛竜門よ! あの、一見けばけばしい中に醸し出される微妙な調和‥! あんな門、他にないと思わない? それでね‥‥」
 うっとりと柱を褒めちぎる沙弥に、じりじりと退いていく有栖と三波。
 ーー まずい、変な子だーーー!!

『巫女様どうぞ‥』
 饅頭を運んできた小坊主が器を差し出しながら、眩しげに沙弥を見た。
「沙弥ちゃんって、‥‥巫女なん?」
 意外そうに三波が尋ねる。
「みこっ? 私が? あの神社にいる人よね? 私そう見えるのっ?」
 これは驚き!‥と、沙弥は自分の服装を見直す。飾り気のないコットンシャツにキュロットである。
「見えへん‥けど。そう呼ばれてるで、沙弥ちゃん‥」
「なんで?」
 のんびりと首を捻る沙弥。
『お待たせいたした、お客人‥』
 小坊主がドアを開けると、長い白髭のひときわ偉そうな老人を先頭に、坊主頭の爺様達が5名、ぞろぞろと連なって現れた。
『一族の長老方です‥』
 最後に入室した東がそっと告げた。その瞳は心配げに沙弥を見守っている。
 長老達は順次、沙弥達の向かいに腰を下ろした。
 BGMのように隣室からお経が流れ、時折、思い出したように高い鐘の音が響く。
 全員が席に着くと、長老の一人がテーブルの真ん中に、大切そうに、割れた水晶を押し出した。
 とたん、
「キャああああーーーー!!」
 耳をつんざく沙弥の悲鳴。
 沙弥の半径3m以内の者が、ビクッ!!と総毛立ち、長老の一人が席から転げ落ちた。
「やっぱり、そのことなのねーーー!!」
 叫んだ後、がっくりと膝をつく沙弥。
「無理よ‥ 絶対弁償なんて出来ないわ‥。今回の旅行で貯金全部パーだもの‥。でも、そんなこと言ったら、きっと捕まっちゃったりなんかして、一生、たこ部屋で働かされるんだわーーっ! それともマグロ漁船!?‥」
 地べたに目を落とす沙弥を、三波がおそるおそる覗き込む。
「あーーー 沙弥ちゃん?」
「もう私、日本には帰れないのねーーーーー!!」
「坊さん達、割った人さえ分かれば、別に構わへんって言ってるけど‥。沙弥ちゃんなわけね‥」
「へ?」
 半べそで吼えていた沙弥の動きが、ぴたと止まる。 
「なんか、弁償の必要ないみたいよ‥。よーわからんけど、めでたい ゆーてるし‥」
 首をかしげて解説する三波。おもむろに頷く長老連。
 視線が沙弥に集中する中、確かめるようにその長老達を見回す有栖。
 長老達は部屋に現れてからずっと沙弥の一挙一動を注視している。そしてそれは、小坊主を含め、部屋に入って来た者達 全員に言えることであった。
  その理由を確かめる必要がある‥。
 有栖は冷静に切り出した。
『御神体保護の要請で派遣されましたインターポールの有栖です。本題に入る前に、こちらのお嬢さんを、ここから無事に送り返すことが先決かと思います。我々の一員と誤認された上での事態ですが、幸いただの観光客のようですので、この地のことは忘ていただけるでしょう。何より一般人を危険な状況下に留め置く訳には参りません』
『それが‥』
 その時、苦しげな様子で東が口を開いた。言いかけて沙弥を見、いたたまれぬように うつむく。
 その東に代わるように、今まで黙していた指導者らしい長い白髭の長老が口火を切った。
『そういう訳には参らぬのです‥』
 長老達の目に妖しい輝きが生まれる。
『今日は、まことにめでたい日‥。半眠の中にあった娘々は完全なる覚醒を得、同時に、我らは新たなる巫女をも手に入れた‥』
 そして沙弥を見据えると、大音声で言い放つ。
『この娘は、娘々に選ばれし者! すなわち、我らが神”掃夷闇黒流形元君”の巫女たる資格があるのです!!』
 どどーーん!と興奮した空気が部屋の中に満ちる。
 感動しきりのように、ぷるぷる震える長老連。
「どしたの?」
 自分に集まる異常な熱気も、どこ吹く風。
 たこ部屋入りを免れたの沙弥は、よほど嬉しかったのか、満面の笑みで、目の前の桃饅頭を頬張っていた。



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