--- Ankoku nyan nyan ---



◇◆ 第 4 話  秘密の大部屋 前編 ◆◇


「なんなのよ、ここはーーー!!」
 海に近い小高い丘の上は鬱蒼とした藪に覆われている。
 ロールスとまではいかないものの、場違いすぎる高級車がその藪のふもとに突っ込むように止まった。その数秒後、ヒステリックな罵声が何もない丘に響き渡ったのである。
 当然というべきか‥ 声の主は、ICPO特殊災害対策課長、その人であった。
 今日も魅惑の濃厚メイクに、オペラピンクのボディコンスーツ。花柄の網タイツで引き締めた太股がミニのタイトスカートから豪快に突き出ている。
 湿りがちな地面に深く突き刺さった10pのピンヒールを、不快げに引き抜くと、課長は潮騒の響く海岸線に向かって仁王立ちに立った。同時に、ヒールが再び大地に沈み込む。
 ただでさえバカでかいのに、ヒールを履く必要がどこにあるのか‥。
 桂、有栖、三波‥ 続いて車から降りた3人の部下は、同じ思いを腹の中に沈めた。
 課長に言わせれば、全ては「乙女心」なのだそうだが、常人のセンスでは理解できない。理解出来るようになった時が、自分達の最後ではないかという予感だけが3人の中をよぎる‥。
「”あっち”の間違いじゃなくって‥?」
 低〜くドスをきかした紛れもない男の声は、目的地、娘々一族の隠れ家を問うていた。普段耳慣れている数段高い声音との落差に、一瞬、空気が凍る。
 課長の、赤を基調にゴージャスにアートされた爪先は、海の方角、切り立った岬にそびえ立つ立派な洋館を指していた。
「いえ、どちらかというと‥」
 案内役の小坊主と言葉を交わした有栖が、力無く、綺麗に反対方向を示す。
 その先には、小山のように盛り上がった、急勾配な丘の頂上部があった。密生する草木は、藪というよりも、もはや密林と化している。
 課長が無言で車に戻った。
 不満爆発を覚悟していた部下3人は、肩すかしを食らったように、見交わし合う。
 ひょっとすると、娘々一族の隠れ家に捜査本部を移す‥などという無茶な決定は、取り消してくれるかも知れない。
 一縷の希望を胸に、車に乗り込むと、課長は不敵に笑って小山の頂上を指さした。
「行くのよっ!!」
「無茶ですーーーーーっっ!!」
 ボコボコにへこんだ高級車のボンネットから火が噴きだしたのは、その数分後のことであった。


「きゃーーー、蚊柱、蚊柱ー!」
 いまいましげに天を睨む課長の背後、激しい振動でようやく目を覚ました沙弥が、小坊主と一緒になって、無邪気に走り回っている。
「静かになさい! 小娘!! 人目に付くわよ!」
( もう十分、付いてますって‥ T-T)
 車から、もうもうと立ち上る煙を、3人の部下がどこかうっとりと見上げている。
「ったく、この小娘、隠れ家に行くってのが解ってないわね! それ以前に、こんな車で寝てられる神経ってのが解らないわ! たるみすぎよっ!!」
 化粧のノリが悪いとやらで、集合時間に3時間も遅れてきたあげくに、「軽トラ!? それも荷台に乗れっていうの、この私に!!」と現地人にカムフラージュ案を速攻却下し、その上、いかにも怪しい黒塗りの高級車で隠れ家の入り口まで乗り付けようとした張本人が、とっても偉そうに説教をこいていた。
 しかし、沙弥には聞こえてないようである。初めて見る超巨大「蚊柱」に近づいたはいいが、こんどは反対に大量の蚊に追いかけ回されている。
「キャあああーー!! こっちに来んじゃないわよ、小娘ーーっっ!!」
「なによ、助けなさいよぉおおお‥‥」
(騒がしい‥)
 仲良く並んで駆け抜けていく課長と沙弥を見送ると、有栖は何も言わずに耳を押さえた。

     *

「っとに、早く言いなさいよねぇ‥ 無駄足したじゃないのぉ!」
「きゃー、海よ、海! 踏み外したらどうなるのーーー!?」
「落ちるに決まってんでしょ! バカねぇ!」
 相変わらず、課長と沙弥のやかましい会話は続いている‥。
 隠れ家への入り口があるという丘の頂上を無視して、ICPO一行は、激しく波の叩き付ける切り立った崖の先端に立っていた。目の眩む高さである。
 小坊主いわく、別の抜け道が、この崖の側面にあるというのだが‥。
 小坊主はどういう訳か、小石を両手いっぱい集めると、崖下を覗き込み、それを幾つも海に落としはじめた。まるで、何かを確かめようとするかように、その顔はいたって真剣である。
「そこよ‥」
 黙々と、海に吸い込まれていく小石を見送っていた小坊主の手から、課長が小石を取った。そして、無造作に崖下に放る。
 コン‥ッ! と、すぐさま小気味の良い音が響いた。
 頬を紅潮させて、課長を見上げる小坊主。嬉しそうに持っていた小石を次々に海に向けて投げつける。
 コ、コ、コ、コ、‥コンッ!
 小石が何かにはじき返される音である。
 怪訝そうに覗き込んでいた有栖と三波が、更に身を乗り出す。小坊主と海の間を隔てる物は何もない。小石がはじかれる訳はないのである。しかし、それよりも驚くべきは、音の響く直前、投げたはずの小石が消えたことであった。
 小坊主は仕上げのように、2回、砂利をつかんで投げた。そして、手のひら大の石を2つ、崖の先端部に1m以上の間隔をあけて置くと、そのまま、ぽんっと崖下に飛び降りた。
「うわあああああああ!!」「きゃああああああ!!」「‥‥‥!!!」
 課長と桂を除いた3人が同時に叫ぶ。
「請来〜!」
 一瞬の静けさの後、朗らかな小坊主の声がした。こっちに来いと言っている。
 崖下、それも足元と言ってもよい近さから、その声は聞こえてくる。しかし、小坊主の姿はどこを探しても見つからないのである。
「迷うたか〜〜、少年〜!」
 いきなり海に向かって手を合わせる三波。成仏してくれ〜と、かなり真剣に祈っている。
「いいから行きなさい!」
「のわ〜〜っっ!!」
 いきなり課長に蹴り落とされる三波。しかし、さすがは現役捜査官、頭から落ちていったはずが、しっかり崖の淵に手を掛け、一命を取り留めている。
「殺す気っすか〜〜!??」
 懸命に崖をよじ登ろうとする三波が、出し抜けに、
「ヒ!?」
 ‥と、裏返った声を上げた。
 今‥ 確かに、誰かが三波の足を引っ張ったのである。 そして、それは再び‥。
 あまりに生々しい感触に耐えきれなくなって、三波はギクシャクと首を回した。
「しぇええええぇぇええっっ!!??」
 なんと‥
 あろうことか、三波の腰から下が、すっぱりと消え去っていた。
 足の感覚は残っている。しかし、三波が確かめたのは、胸までしかない自分の姿であった。すでに下半身はあの世に引きずり込まれたとでも言うのか‥。
「なるほど‥」
 頭上で、得心したような有栖の声がした。と、思うや、崖下に身を躍らせる有栖。
「おいーーっ!!」
 とっさに三波は左手を伸ばし、落ちていく有栖の腕をつかんだ。しかし、いつまで待っても有栖の重みは伝わってこない。
「いいから、離せ」
 三波の胸元で、首と片腕だけの姿になった有栖が呟いた。のけぞる三波に、
「その石より向こうに行くと、本当に落ちるぞ‥」
 と静かに注意し、有栖は三波に掴まれたままの手で、小坊主が置いた崖の上の2つの石を指した。
 そして、有栖は3秒だけ待つと、課長が次の怒声を上げる前に、さっさと三波を引きずり下ろした。
 気が付けば、三波はあんぐり口を開けたまま、お姫様抱っこで有栖の腕に抱かれている。
「いややぁあ〜!! 俺ってば、カッコわるすぎぃいぃ!」
 全てを理解したらしい三波は、足下に広がる踊り場のような二畳ほどの空間に、膝を着いた。
 その踊り場は、崖の側面、上から2メートル半ほどの所に、突き出すように張り出していた。
 そして、どういう仕掛けか、周囲からは全く見えないようになっている。ちょうど、崖の上から1メートルほどの辺りから、この「見えなくなるバリア」は始まるようである。
 踊り場には、崖に向かって左手側に足場のように岩があり、有栖の腰ほどしかない小坊主でも、崖にぶら下がれば十分足が届くようになっていた。
 そして、階段状に置かれた岩をもう数段下ると、踊り場の右手にあたる崖の側面部、ちょうど三波がぶら下がっていたあたりに、ぽっかりと抜け道が口を開けているのだった。
 入り口は1メートル2〜30センチ四方。どこまで続いているのかは不明だが、有栖達にとっては中途半端な高さの穴の中で、小坊主が「請来」と笑った。

     *

 天然の洞穴を利用したらしい崖の内部は、予想以上に広く、入り組んだ通路があちこちに分岐していた。
 懐中電灯を持った小坊主が、一定間隔で置かれたロウソクに火を灯していく。
 周囲には部屋らしき空間がいくつもあるのだが、小坊主は立ち止まることなく、更に奥へと進んで行った。
 するとやがて、場違いなものが一行の目に映った。
 銀色の光沢を放つ、円形の巨大な扉。シェルターの入口‥というよりは、銀行にある金庫の扉‥に似ている。
 ご丁寧に、暗号入力用のボタンまで取り付けられているが、鍵は閉まっていないらしい。一行の視線に気付いた小坊主が、気を利かせて、車のハンドルのような取っ手を引っ張ると、扉はじりじりと動きだした。
「きゃーー! 宝島よ〜〜!」
 沙弥が意味不明の歓声をあげる。
「な、訳ないでしょ!!」
 しかし、その扉の向こうには、まさに金銀財宝‥ 宝の山があった。
「あるじゃない?」
「うそォーーーーー!?」
 勝ち誇る沙弥に、課長がチッと舌打ちする。他の3人は、ただただ茫然と立ち尽くしている。
「おいで下されましたな‥」
 先の小坊主の先導で、髭の長い長老と数人の供が現れた。
「巫女殿の部屋も、今、お作りしておりますぞ。ま、皆様方もどこでも好きな部屋をお使い下され。私どもは、ずっと奥の間におりますでな‥。いやいや、まさか、しばらく使っていぬ間に、洞窟が宝の山になっておるとは知りませなんだ、ふぉっふぉっふぉっ! これも娘々の御威徳でございますかのう‥」
「は‥?」
 怪訝な顔の一行に気付くと、長老は嬉しさを隠し切れぬように付け足した。
「ここは戦前、マフィアが使っていた洞窟でしてな。打ち捨てられていたのを、先々代の頃から使っておりますのじゃ‥。それが、しばらく留守にしてた間に、どこぞの富豪が隠し財産を溜め込んでおって‥。今、調べさせておるんじゃが、どうやら、その富豪、この場所を誰にも明かさずに冥土に旅立ったらしい。名は、なんと言ったかのう‥。望‥なんとかじゃ。ほれ、すぐ近くの岬に豪邸が建ってましたじゃろ? あそこの主人だったそうじゃ‥」
 カクーーン‥ と、桂の口が開いた。
「何なのよ、その反応は! おっしゃい、今すぐ、おっしゃい!」
 放心気味の桂を、課長がブンブンと揺さぶる。
「あの屋敷っ、陽麟グループの会長宅‥‥」
 その瞬間、課長の瞳は輝き、有栖と三波の表情は引きつった。
「いやぁん! 陽麟の先代って言えば‥。6年前に他界した、望 片代! 死ぬ前に莫大な財宝を隠したって、噂じゃないのお!!」
「陽麟グループ会頭って言えば、香港マフィアの総締めの1人‥」
「うそ、政財界のボスやないん!?」
 やっと、人心地ついたのか、桂が解説する。
「裏も表も幅広いグループなんですよ‥。まあ、先代の死後はすっかり落ち目になりつつあるんですが‥。難事件の影に、頻繁に浮上してくる名前ですよ、陽麟は‥」
「んなこた、どーでもいいのよ、前会長の他界の際に不明になったのって、何兆円だったかしら〜! お家騒動、凄まじかったものね〜」
「課長‥ ダメです。人様の物なんですから‥」
 釘を刺す桂に、課長が満面の笑みを返す。
「ケチくさいこと言ってんじゃな・い・の! どうせ、不正なことして集めたモノなんだからぁ。バレて困るのは向・こ・う! またお家騒動でも起きたら不憫じゃなぁい?」
 その言葉に、長老が深くうなづく。
「うむ。そうですのう‥。死後も、ここにあるということは、もう必要無きものということ‥。きっと、望殿もあの世で喜んでおりましょう、娘々にかような御寄進がかなったことを‥」
 ーー 違ーうーーー!!
 ICPO良識派3人組は、同時にツッコミを入れた。


   *


「ねぇねぇ、それより、東君はどこなのよぉー!」
 しばらくの間、金塊の山を前に皮算用に腐心していた課長が、思い出したように声を張り上げた。
 すでに長老の姿はなく、1人残された中年の坊主が、今後の方策について桂達と話し合っている。
 微妙に腰をくねらせて、「東くぅうん‥」と宙を見上げる課長。桂が冷たく、
「娘々連れて、巫女の修練場の下見に行ってるそうです‥」
 と、だけ告げた。
「ああ‥ 今日は貴方の為に、とっておきの下着を付けてきたのに‥」
(いつのまにそんな仲に?)(東君、不憫や‥)
 極力、課長を振り返らないようにする有栖と三波。「見たくないから、逃げたんでしょ‥。嫌がられてるの気付けば?」
 ただ1人、沙弥だけがストレートに忠告した。
 昨日、課長は”運命の人”‥娘々神の神官を務める”東”に一目惚れしたのだった。
 そして、東の腕をとって離さない課長を「しつこい年増って嫌われるのよね‥」の呟き一つで追い払ったのが、この沙弥であった。
「何てこと言うのよ、この小娘ーー!! はっ、私達の仲にやきもち焼いてるのね‥」
 中国語が解らない為、今まで大人しくしていた沙弥だったが、自分の世界に浸りきっていた課長はいつの間にか日本語に戻っている。
 沙弥は「救いようないわね‥」と首を横に振ると、ふと、何かに気付いたように、課長の胸元を凝視した。
「何見てんのよ‥? アンタには見せないわよ。この柔肌は東君のものなんだから‥!」
 解析不能のセリフをのたまいながら、豊満な胸を隠す課長。きっちりした襟元のスーツの下は、かなりの脹らみがある。
「‥‥‥胸‥何入れてるの?」
「きゃーーー、なんてコト聞くのよ この小娘、アンタ恥じらいってものがないの?」
「何カップ?」
「きゃーー、五月蠅いわね! ほっといてよ! 何で、アンタみたいなぺったんこにバカにされなきゃなんないのよ!! ‥‥アンタは?」
「B! でも限りなくA!」
「くう‥ 見てなさい! そのうちシリコン入れてやるんだからあ!」
「? 入ってないの? じゃあパット?」
「ぐ‥」
「へーえ。綺麗に収まってる‥。でも、もすこし減らした方が良くない?」
「え? 変!?」
「だって、あんまり大きいと馬鹿に見えるとかって言わない?」
「うそ! 大きい方が絶対モテるわよ!! ねえ?」
(と、いわれても‥)
 いきなり話を振られて固まる有栖。
「かーちょおー、それより、どうすんですか? このお宝の中、どーやって仕事するんです‥」
 桂が、さりげなく助け船を送る。が、
「アンタ決めてよ」
 そう言い捨てて、課長は再び沙弥と話し込み始めた。
 るるる〜‥。もの悲しげに背中を丸める桂を、「まーまー、あの2人やっと仲良くなってきたみたいですし‥」と慰める三波。
 しかし、その背後では、すかさず
「何、言ってんのよ小娘!! 私の足のどこが太いってのよ!」
「スカート短すぎって、言ってんの!!」
「ミニスカート長くしてどーすんのよー!!」
 怒号が鳴り響いていた。


      *


 地下の隠れ家‥は、思っていた以上に快適な空間であった。
 それもこれも、望片代の莫大な富のなせる技であろう。
 望は洞窟奥部を切り開き、まるで別荘のようなこの隠れ家を作り上げたようである。
 崖下には船が出入り出来るような岩穴が幾つも口を開けており、恐らくはここから資材を搬入したに違いない。
 望は、その天然の船着き場を中心に、まったく新たに空間を作りあげたらしく、以前からあった娘々一族の隠れ家は、掘り進めていくうちに、偶然、繋がってしまっただけなのか、その空間の最奥部に位置していた。
 余計な侵入口を増やしたくなかったのかもしれない。当初、一族が使用しようとした海に通ずる入り口は土砂で塞がれていたという。
 しかし、小坊主の案内した抜け道は、入り組んでいる上に極端に狭い部分がある為か、発見されずにすんだようである。
 一族はここから侵入した後、洞内の変化を不審に思い、普段は使わぬ奥部にまで探索を出した。すると、果たして、この財宝が目の前に現れた‥というわけである。
 扉を開く暗号は、東がボタンを適当に押したら開いたのだというから、真に恐るべきは、娘々のみこというところだろうか‥。
 そして、更に信じがたいことに、この財宝庫は幾つかあるうちの1つでしかないらしく、この巨大扉のすぐ隣には、ドアノブのついた普通の扉があり、その向こうにはまだまだ、いくつもの部屋があるらしかった。
 現在、一族の者達が、内部をくまなく探査中とのことである。


 桂、有栖、三波の3人は、騒がしい課長と沙弥を宝庫に残し、出来るだけ使い勝手の良い部屋を探し始めた。
 恐ろしいことに、この地下には、電気、水道はもちろんのこと、電話や衛星放送までが完備されている。
 一体どこから盗んで‥ いや、引いてきたのかは知らないが、望片代のことである、「使用料金」を請求されるようなドジは踏んでいないはずである。
 桂は、一時この近海に土木従事者とみられる死体が頻繁に打ち上げられたいたことを思い出し、ぶるっと身を震わせた。
 さておき、ここならば捜査官を多数収容することも出来る。しかし、娘々一族の隠れ家であることと、課長の性格をかんがみて、ここに入る捜査官は少数に絞られるに違いない。
 現在、小間使いとして化している有栖と三波が、引き続きその任に当たることになり、桂自身は、本部とこことの掛け持ちを命ぜられるであろう。
 部長から係長に降格した桂であるが、結局は課長の仕事を押しつけられ、代わりの部長が着任するまでは、部長の仕事も残っているのである。忙しい!なんてものではない。
 とりあえず、昼までには本部に戻らければならない。 桂は、残していくことになる2人の若者を、心底、気の毒そうに見つめた‥。


      *


「ねー、ちょっと、桂ー! 一体どこ行ったのよーー!」
 周囲に誰もいないことに課長が気付いたのは、延々、沙弥と言い争い続け、30分以上たった頃であった。
「ったく、もう、使えないわねえ‥。ねえ小娘、そろそろお茶しない? 小腹空いたわ‥」
 螺鈿細工の施されたテーブルには、小坊主が運んできた茶菓子が並んでいる。
 しかし、沙弥の返事はない。2人の周囲には金銀財宝、珍品、骨董が所狭しと山積みされているのだが、どうやらその中に沙弥の興味を惹くものがあったらしい。課長に背を向けたまま、ガチャガチャ音をたてている。
「何やってるのよー」
 面倒臭そうに覗き込む課長の鼻先に、ブン!!と刀が迫った。サビ付いた剣を、沙弥が強引に引き抜いたらしい。
「危ないじゃないの!! この美顔に傷でもついたらどーしてくれるのよーー!」
「あ、ごめんねぇ‥」
 上の空で、更にがさごそ続ける沙弥。
「すごいわ‥ ここ。ほら、その壺なんて宋の青磁よ‥。絶対高いわ‥」
「はー? 今更何言ってんのよ。そんな小汚い壺より、そこに山積みの金塊の方が、よっぽど高価よお」
「解ってないわね〜。そんな最近作られたものなんて、面白くも何ともないのよ〜」
 言いながら、刀をぶらぶらさせる沙弥。
「でも、これ保存状態よくないわ〜。サビまくり〜」
「人でも斬ったんじゃない?」
「え?」
 ぽろ‥と刀を落とす沙弥。
 パキ‥ッと刀身が二つに折れた。
 しーーん‥ 沙弥と課長の間に沈黙が走る。
「‥‥また‥ やってしまったわーーー!! あーーん、どーしよぉ〜〜!」
「そんな小汚いの、どーでもいいじゃない」
「よくなーい! 前にも刀叩き割って怒られたのよ、私ー!」
「はあ? なんで、そんなもん‥ あら? 何か見えるわよ‥ その‥アンタが叩き割った刀って、これくらい?」
 30pほどの幅を作り、課長が両手を広げてみせる。
「で、柄の所に丸い石みたいのはまってない?」
「どうして? 水晶入ってたけど‥」
「あんたの頭上に見えるのよ‥ 」
 課長は、沙弥の頭上に手をかざした。
「はあん。そーゆーこと? このイメージ‥アンタの記憶じゃないわ。アンタに化け物憑いてるって言ったわよね。そいつの記憶よ。アンタが強く思い出したから、こいつ影響受けたのね‥。ふうん‥」
「何よ? 何、なに‥?」
 課長は、しばらく手をかざしたまま、ひとり納得している。
「アンタ、刀割ったのって‥ これ‥幼稚園くらいじゃない?」
「保育園よ」
「鞘から抜いて振り回してたら、壁にぶつけて、刃の部分がすっぽ抜けて、そのまま、水晶も外れたんでしょ。そして割れた‥」
「すごーい! どうしてわかるのよ! 本当に見えるの!?」
「言ったでしょう? 私はアンタなんかが気安く話しかけられるような、人間じゃないのよぉ〜 っほっほ!」
「へー、ただのオバサンじゃなかったんだー」
「誰がおばさんよ!!」
 しかし、見上げる沙弥が、一応は尊敬の眼差しであることに気づき、課長は、こほん‥と咳払いをした。
「ま‥ いいわ。とにかく大切なのはここからよ。アンタが叩き割った小刀ね、ただの刀じゃなかったの‥」
「超高級品? やっぱり‥? すっごく怒られたもの‥」
「じゃなくて、封魔の剣‥だったの」
「ふうま?」
「そ。化け物退治に使う剣。それもかなり古くて珍しいタイプね。退治した魔物をそのまま剣の柄に封じるみたいよ‥。アンタはご丁寧に何重にも貼られた封印を、ことごとく解いていったみたい‥。鞘、刀身、水晶‥って。そして、そのせいで、眠っていた魔物が目を覚ました‥。つまりは、そいつよ!」
 ビシイ!!と、沙弥の頭上を指差す課長。
「えええええ!! 何で! それから、ずぅぅ〜〜〜っと憑いてたの?」
「そうね」
「お風呂もトイレも!?」
「そーゆー問題じゃないでしょお!! ちょっとは普通の反応出来ないの、この小娘‥」
「何言ってるのよ、重大問題よお!」
「そんなの気にしてたら、守護霊つけてらんないわよ! あら? アンタの守護霊は? ‥‥ふうんアンタの曾ジーサン、孫捨てて逃げたみたいね。ま、こんなの憑いてちゃ、どんな悪霊も寄ってこないでしょうけど‥」
「えーー!? ひいおじーちゃんが守護霊なのー!?」
「いま近くにいないけどね。それより、どうしてそんな刀、アンタの家にあったのよ‥」
「ああ、うち博物館やってるの。個人のちっちゃいのだけど‥」
「もしや、アンタって金持ちのお嬢!? 見えないわ! でもその一歩ズレてるとこってそうなの!?」
「違うわよ〜。おじいちゃんの頃までは、お金あったみたいだけど、今は貧乏。ひいじいちゃんが満州時代に買い集めたガラクタが山ほどあって、どうしようもないからじいちゃんが博物館みたくしたらしいんだけど‥」
「で、その中にあったわけね‥」
「うん、収蔵庫の汚い箱の中‥」
「じゃあ、この魔物は中国産ってわけねえ‥。案外、こいつに導かれてここまで来たのかもよ‥アンタ。有栖の言うとおり、娘々と関係あったら面白いんだけど‥。こいつ、何に関しても無反応なのよ‥。娘々に対しても。あれだけ力の強い神を前にして、考えられないわ‥。刀の記憶に反応したこと自体、奇跡的かもよ? とりあえず、これだけは確かね。普通じゃないわよ、そいつ‥」
「えええええ〜〜。福の神に変化‥とかしない?」
「しないわよっ!!」
 またも声を荒げた課長が、突然、ぴく‥と顔を上げる。沙弥も気付いたらしい。
「今、何か悲鳴っぽいの聞こえなかった?」
「何か”出た”みたいねえ‥。大したもんじゃないわ‥。ま、桂にまかせましょ」
 悲鳴の主は三波だったのだが、課長は気にすることなく、優雅に「お茶」を始めた。沙弥も幸せそうに山積みの饅頭に手を延ばす。

 しかし‥
 その頃、桂はICPO香港支局にて、うずたかく積まれた書類の山と格闘していた。
 課長に捕まると面倒であると考えた桂は、見付からぬように細心の注意を払い、こっそりと隠れ家を抜け出していたのだった。
 その為、課長は、桂の不在を知らない。仮に気付いていていても「何事も経験よぉ‥」とにっこり笑って突き放すに違いない。
 それが、この人‥
 本名、ヤマモト・セレス・アンドュレイク・リー・‥‥中略‥‥・ブルボン・ハプスブルク・‥‥更に30秒経過‥‥・ポヤンスキー・パ 課長であった。 




    NEXT              EXIT